子を非難するかわりに…

こんばんは!

キッズマネースクールの中間です💰


突然ですが、

最近、子供のしつけで悩んでました。。。


うちの中学2年生と小学5年生の息子が2人います。

二人ともに毎日大好きなサッカーに明け暮れ、家に帰ってきたら靴を脱ぎ捨て、カバンを投げ捨てYouTubeを見て大好きなゲームをします。


私が早く帰ると、玄関の靴は並べられることはなく、床の上に汗や泥で汚れた服が脱ぎ捨てられています。


それを見るたびに叱りつけ”正しい”と思うことを指示します。

それは、汚れ物は洗い場に持っていかせ、手洗いうがいをしてやらなければいけないはずの宿題をやるように言いつけます。


子供はパパが怖いようで、言えばめんどくさそうな顔をしながらも、ゆっくりした動作で言われたことをやります。

そのたびに私は「子供のため」と思って、心のどこかで正しいことを指示している、と思っていました。


でも、また早く帰る日があると、家の中は同じように叱るような状況になっているのです。。


どうやれば ”正しいことが伝わるのか、習慣づけることができるのか” なんて悩むことは毎日でした。



そんな時に不朽の名著 デール・カーネギーの「人を動かす」を手にしてパラパラと目を通して、なんて単純なことをわすれていたのだろうと父である自分が本当に恥ずかしくなりました。


「人を動かす」のなかに ”人の立場に身を置く”  という一節があり

そこには 『釣り針には魚の好物をつける』と書かれていました。


意味するものは

人を動かす唯一の方法は、人はその人の好むものに興味をもち、それを手に入れる方法をおしえてやることだ。

ということです。


私は子供のためという表面上の理由で、本当は自分の欲求(こうあるべきだ)を満たそうとしていただけなのだと気づきました。


靴を並べることや、汚れた服を洗い場に持っていくことは、子供にとって自分の興味のあることではなかったのに、それを理由も言わずやらせていたのは私でした。


なぜそうしなければいけないのかを分からずにやらせても、次の日には同じことをしてしまうのは当たり前なのに…



ビジネスの場においても家庭内においても、人と関わって生きていく以上は、自分の思い通りに何かを進めることは傲慢になるのかもしれません。

相手が何に興味を持っているのか。

どんな欲求を起こさせる必要があるのか。


「○○のため」ではなく「○○の立場になる」ことが非常に大切なのかもしれません。

「○○のため」は自分の立場で物事を考えた結果であり基準は自分になっていますが

「○○の立場になる」は自分の経験や常識を否定しなければいけないことになります。


絶対的に経験の少ない子供に対して親の立場で子供のために何かを考えても、大きな成果は生まれないでしょう。


それよりも子供の立場で何に興味があるのかを理解して、

それを叶えるためには何をしていくほうが良いのかを一緒に考えていくことで

家族のコミュニケーションも増え、子供の心も近づいてくるのだと思います。



私自身本当に反省の毎日で一歩ずつですが、子を持つ親として愛する子供を理解しともに成長していけるようになっていきたいと思いコラムにさせていただきました。



大人が変われば、子供が変わる

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